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旧神戸外国人居留地十五番館

神戸歴史遺産とは

神戸歴史遺産とは

神戸市では、文化財保護法、兵庫県文化財保護条例、神戸市文化財の保護及び文化財等を取り巻く文化環境の保全に関する条例による指定等により、多くの文化財の保護に努めています。また、国、県、市による修理等に関わる補助制度により、後世へ伝える取り組みを行ってきました。

指定等文化財に加え、未指定文化財を認定し、あわせて「神戸歴史遺産」とします。地域の歴史的な建造物、地域で伝えてきた歴史的な伝統行事、地域の歴史を語る文書など神戸市にとって大切な歴史遺産を認定することにより、文化財所有者及び市民のみなさまの継承意欲の醸成を図り、その保存と活用につなげることを目的としています。

第1回神戸歴史遺産の認定


1.六甲ケーブル六甲山上駅

昭和7年3月10日六甲ケーブル開通時の建造物で、地下2階、地上3階の鉄筋コンクリート造の駅舎です。
アール・デコ風の建築様式を取り込んだモダンなデザインが特徴です。
昭和初期の山上のハイカラなレジャー文化を感じられる現存建物として貴重な存在で、六甲山観光の玄関口として果たしてきた役割は大きく、六甲山のシンボル的存在です。

2.湯女を起源とする有馬芸妓文化

江戸時代には、有馬温泉の名は有馬湯女と有馬節により全国に広まりました。
明治時代に湯女は廃止されましたが、有馬芸妓はその唄や踊りによって有馬温泉の文化を引き継いでいます。
湯女を起源とし、温泉街の歴史的な変遷を文化として体現している貴重な存在です。
今後も文化を継承する意欲も強く、有馬温泉街での期待も高く、新たな取組も行われています。

3.「武井家文書」および「武井家伝来絵画資料(粉本)」

「武井家文書」は須磨区旧板宿村の庄屋に残された、近世から近代の地域社会の動向と名望家の文化的活動の様子を克明に伝える文書及び絵図などで構成された資料群です。
「武井家伝来絵画資料(粉本)」は絵画資料としてだけではなく、地方絵師の絵画制作の過程について触れることができる貴重な資料です。
昭和63年に開館した百耕資料館において保存・調査・研究・公開が行われています。

4.安徳帝内裏跡伝説地

江戸時代から源平合戦にまつわる伝説地として広く認識されています。
寛文7年(1667)に作成された『摂津名所地図』に安徳帝内裏跡の記載があります。
松尾芭蕉の紀行文『笈の小文』や江戸時代の多くの名所記などに紹介されました。
明治時代以降も、地域住民により石碑や玉垣などがつくられ、現在まで保全活動が続けられており、地域の歴史を伝えるものとして活用を目指しています。

5.宮野尾神社の獅子舞

宮野尾神社を核とした中山地区の10月の秋祭りの行事として、昭和初期頃からほぼ形態を変えずに収穫の感謝と翌年の豊作を祈願する獅子舞が継承されています。
地区の若者が、獅子舞を舞う明神講を組織する体制も変わらず受け継がれています。
時代にあわせた日程に変更し、年齢制限を緩和するなど柔軟に工夫して続けており、今後も精力的に継承されていきます。

6.旧住吉村吉田家関係資料

住吉村を代表する豪商吉田家に関係する資料群です。吉田家は、住吉村の庄屋を務めるとともに製油・酒造・廻船などの事業を手掛けました。また、文庫「聆濤閣(れいとうかく)」に一級の文化財を収集し、武士や公家、学者等に広く公開しました。この資料からは、これらの知のネットワーク上の人物らと吉田家の交流が見てとれ、住吉歴史資料館において、研究と活用が進められています。

7.神戸布引おんたき茶屋

布引滝は、神戸を代表する観光地として親しまれ、明治初期に近代公園として布引遊園地が整備されました。同時期に、外国人のリクリエーション登山にならい、茶屋が拠点となって、ハイキング文化が育ちました。まさに、神戸の、全国の山遊びの原点と言える場です。また、当時珍しかった擬岩擬木の擁壁など名勝地を愛でる自然享受のスタイルが継承されています

8.関西ユダヤ教団・シナゴーグ

シナゴーグとはユダヤ教の会堂を意味し、日本では神戸、東京などに存在します。このうち、関西ユダヤ教団・シナゴーグは日本で現存最古のシナゴーグです。北野地区には開港以来、外国人が多く居住したことから、特色ある宗教建築も現存しています。関西ユダヤ教団・シナゴーグは、北野地区そして神戸の多宗教、異文化交流の歴史を伝える建造物のひとつとして貴重です。

9.金星観測記念碑(金星測量標柱)

明治7年(1874)12月9日、フランスによって、地球と太陽との距離を計測するために金星の太陽面通過の観測が行われました。これを記念して、現在でも金星台と呼ばれている観測地跡に建てられたのがこの記念碑です。開港後間もない神戸が国際的な天文観測の場所として選ばれ、歴史的な快挙が達成された場所であったことを物語る貴重な存在と言えます。令和4年(2022)3月には、横浜・長崎とともに日本天文遺産に認定されました

10.旧雲禅寺伝来品及び豊浦地区数珠繰り資料

江戸時代前期に創建され明治時代に廃寺となった雲禅寺の存在を明らかにし、西国三十三所信仰の様子や地域の歴史を伝える貴重な存在と言えます。また、厨子の銘文から、施主は地元と大坂在住者、仏像は京都で制作されたものであるという地域的広がりを読み取ることができます。さらに、明治政府による廃仏毀釈で廃棄されることなく、数珠繰り等を通して集落で信仰され続けた点が、廃仏毀釈の受容を考える上で興味深い資料と言えます。

11.住吉川の水車小屋跡(八輌場地点)

住吉川は六甲山地の中では豊富な水量を持つため江戸時代より水車が建設され、絞油や精米などに利用されてきました。酒造業の活況とともに、次第に数を増やし、大正時代中期には80輌もの水車がありました。その後は、時代の変化とともに衰退し、昭和54年(1979)に住吉川流域の水車小屋は姿を消しました。現在は、水車小屋跡に石で作られた水車用の水路や石垣が残ります。地元団体により植樹や草刈りが継続して行われるなど、神戸の地場産業を支えた水車小屋の存在を周知する活動も見込まれます。

12.旧松森医院本医院棟

松森家は江戸時代には篠山藩(現:兵庫県丹波篠山市)の御殿医をつとめた武家でしたが、廃藩置県により野瀬へ移り、明治44年(1911)に現在地で松森医院を開業したと伝えられます。旧松森医院本医院棟は、昭和3年(1928)に2代院長・正純氏により建築されました。木造瓦葺2階建ての大規模な近代和風医院建築で、良質な木材が使用され、格天井や欄間装飾など細部まで手の込んだ造りです。手術や出産にも対応する機能を持ち、地域医療を支えました。解体の危機から救われ、地域交流拠点施設として保存活用が見込まれます。

13.白川大歳神社本殿及び覆屋

社殿覆屋の中に東西に3社が並ぶ形で配置され、中央社殿に大歳大明神が祀られています。中央社殿は一間社春日造、東側社殿は一間社春日造、西側社殿は一間社流造、覆屋は東西四間・南北三間の入母屋造です。明治10年(1877)に焼失したと伝わり、その後再建された社殿と考えられます。現在も地域住民による「神主番」が祭礼に携わり、白川地域のコミュニティの拠点として、五大祭などの開催を通じて地域住民に親しまれています。

14.旧寺西家住宅(垂水五色山西洋館)

垂水区塩屋から舞子にかけての高台や臨海部は、明石海峡を望む風光明媚な地として、明治時代後半から昭和時代初期にかけて、外国人や実業家の別荘が数多く建てられました。この住宅も、大阪商船株式会社(現:株式会社商船三井)取締役の寺西成器(1845~1930頃)が大正6年(1917)に別邸として建築したと推定されています。建築当初のステンドグラスや暖炉、階段親柱などの意匠・装飾もよく残っています。別荘や豪邸が数多く建築された当時の面影を留める洋館であり、今後は地域に開放しながらの保存活用も見込まれます。